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古都の坊主から挨拶


京都の禅寺で坊主をやっている【寺島サンガ】といいます。はじめまして。

このブログは

  1. 精神世界や座禅や瞑想に興味を持っているが、やり方がわからない

  2. 座禅・瞑想をしているけれど壁にぶつかっている、答えが見つからない、真理も実感がつかめない

  3. 究極の瞑想を味わいたいが、実際に変性意識状態にすら入りにくい

  4. 宇宙の真理、一体感をつかみたいが、神秘体験をしたことがない、ずっとしていない

  5. 一刻も早く劇的に瞑想を深め、次のステージに進みたい

  6. 深い気づきと悟りを開きたい、そして自分を確立したい

  7. 精神を統一したい、精神を鍛えたい、それも早期に
といった人に読んでほしいです。
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座禅をしても瞑想をしてもがいまいち実感がつかめず

私はかつて人一倍瞑想法や精神世界に興味を持っていたものの瞑想が大の苦手でした。
座禅をしても精神統一がなされず、悟りを開くこととは一番遠いところにいた坊主でした。

私にかぎらず、我々坊主というものは座禅による瞑想はとても大きな壁です。

私もヴィパッサナー瞑想や超越瞑想や修験道やヨガなど色々試しましたが、満足いきませんでした。

それらの瞑想法や精神修行法が悪いというよりも、私が駄目だったのですが。

※幸いなことに坊主という職に就いているだけで、座禅や瞑想や呼吸法などの精神修行をしているだけで、本当に精神統一しているように見えてしまうので、助かっています。

座禅や瞑想は潜在意識の底と本当の自分とつながる大事なツール

何も法事で念仏を唱えるだけが坊主の仕事ではないのです。

日々、書物を読んで勉強し、見識を高めていくことも必要ですし、毎日規則正しく生活して身も心も清めていくことも大事です。

そして自己の内面精神世界の追求は、仏の道を歩む者にとって必要不可欠なものです。

座禅、瞑想はその手段として、もっとも有効と言われています。

しかし、しかし、なのです。
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悟りを開く、精神を統一する、瞑想状態に入る、どれだけ大変なことか

どれほどのお坊さんが座禅・瞑想の分野で、人に説教できるほど高位の精神世界を体験しているのでしょうか? 


覚醒体験や悟り体験、もしくはそれに近い体験のことです。

人よりも内面世界で上に行っているのでしょうか?
 
残念ながら、偉そうにお説教を垂れるほどの人は多くはありません。
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僧侶、高僧といえども自我、煩悩、雑念の塊

実は多くのお坊さんがいくら座禅をしても瞑想をしても、自我・煩悩・雑念にとらわれています

お坊さんは俗から一番離れていなければいけない存在です。

しかしそんなお坊さんが座禅を組み瞑想をして、俗や雑念を振り払えない現状があります。

つまり従来の瞑想のやり方に問題があるのではないでしょうか? 

それとも現代の僧侶が退化しているのでしょうか? 
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座禅や瞑想に生ぬるさを感じ多くの瞑想法を経験

特に座禅と瞑想の劣等生だった私は、無駄な行動力を使い、それならば別の瞑想のやり方があるはずだろう、と私は様々な世界の瞑想法にチャレンジしました。

また精神世界や瞑想に関する書物を読みあさりました。

他ジャンルからも、瞑想を深めるヒントを探し続けてきました。

それもこれも瞑想好奇心いっぱいの落ちこぼれだったからです

しかし頑張った分だけ瞑想が深まったかというとそうではありません。

すべて私の不徳の致すところですが、他の仲間もそんなものだという現実があります。59a01ac3.jpg


どんな高僧でも瞑想を極めることは難しい


もしお坊さんは特別な徳の高い存在だと思っているのならば(今どきそんな人はいないと思いますが)、それは間違いです。 


裏を返せば、瞑想とはどんなに修行しても深まらないほど難しいということなのです。

毎日座禅を組む禅寺の坊主でさえ瞑想状態に深く入れていないのだから、一般の方はもっと難しいはずです。

私も迷い多き人間です。


坊主の前に人間ですから、様々な煩悩にとらわれています。

私も持っている理性すら、私の悩みにもなっています。

しかし、それすら乗り越える究極といって差支えがない瞑想状態を得ることに成功しました。

ある出会いからです。

瞑想を究極に持っていける技術との出会いです。


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坊主もびっくりの覚醒瞑想体験

究極の瞑想状態を味わった喜びを紹介したい、もっとカビの生えたやり方じゃないすごすぎる瞑想法がある、ということを伝えたかったのです。
 
だから、このブログを書くことにしました。


瞑想をやってきた人は、大喜びをしてください。


圧倒的にあなたの瞑想状態が深まっていくでしょう。

ただし普通に瞑想をやっていたのでは限界だらけなのが実情です。

瞑想は凄そうなものだと幻想を抱きやすいのですが、実はあんまりいいところまで行けないのです(個人差がありますが)

これは高僧と呼ばれる徳の高いお坊さんですら苦労していることからも事実です。

脳も精神も簡単に変わってたまるかです!


少しでも瞑想ができる脳みそになってほしい

大小様々な執着からの解脱をして欲しい

イキイキと人生を歩んで欲しいというのが、私の願いです。

不満を抱えながら、人生を呪って死んでいく、これはやっぱり私達坊主の立場から見ても、やるせないものがあります。


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精神を統一する、精神を鍛える、悟りを開くために


【満足いける生き方】になるためには、


自分の脳をコントロールして精神世界を深めること

それが必須だと私は思っています。
 
しかしながら、一人で瞑想を頑張ってもあんまり大した位置までいかないのです。

座禅や瞑想に期待をしても、期待以下の結果で終わってしまうのです。

ですので私の体験を通じて、ご自分の瞑想観に風穴が開けられることを切に祈っております。
 

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images.jpg寺島サンガ